童話作家・北村正裕のナンセンスの部屋MENU >メルヘンの部屋 >
話されなかった言葉
見渡す限りの雪野原の上に、ひとりの老人が倒れていました。老人は、月の光に導かれてここまでやって来たものの、ついに力尽き、その上、いつのまにか、月も雲に隠れてしまい、もはや、歩く気力さえなくしてしまっていたのです。
「もう、これまでだな」
老人はつぶやきました。そして、不思議な音色が聞こえてきたのは、ちょうど、その時でした。
チェン、チリン、リリン
チェン、チリン、リリン
「何だろう？」
老人が顔をあげると、いつのまにか、雪野原では、白く透き通った色をした、妖精のような踊り子達が、バレリーナのように舞い踊っていたのです。
チェン、チリン、リリン
チェン、チリン、リリン
あの、なつかしい響きは、彼女たちがステップをふみ、また、くるくると回転するたびに、老人の耳に飛び込んでくるのでした。
「この言葉・・・」
そうです。老人が聴いたのは、たしかに言葉だったのです。
「ねえ、君たち。君たちは、一体、誰なの？」
老人は、妖精たちにたずねました。
「私たちは、話されなかった言葉」
「そう、決して話されなかった言葉たちよ」「そうか。それで、こんなになつかしく・・・」
妖精たちの返事に、老人は、納得しました。が、すぐに、次の質問をしたのです。
「でも、どうして、私の前に現れたんだい？」「お見送りよ。言葉の主が、遠い世界に旅立つ時の」
「ああ、そうか。私は、もう、死ぬんだな」
と、老人は、また、納得しました。が、妖精たちが、踊りながら遠ざかって行ったちょうどその時、雲間から、再び、月の光が射し込み、老人は、雪の上に、月の光のスポットライトを浴びた、ひとりの少女を見付けたのです。かげ絵のように神秘的で、ふる里のようになつかしい少女。
「ああ！ あのこだ！」
老人は、最後の力をふりしぼって、少女に近づき、そして、話しかけました。
「来てくれたんだね」
「ええ」
「でも、隣町にお嫁にいったんじゃなかったの？」
「おひまをもらったわ」
「病気で死んでしまったんじゃなかったの？」
「ええ、そうよ。でも、おひまをもらったの」
「そうか。よかった。ここで会えて。さあ、これ、返すよ」
老人は、少女の名前のはいった鉛筆をポケットから取り出すと、ゆっくりと、少女の前に差し出しました。
「まあ、なつかしい。今まで、持っていてくれたの？」
「そうさ」
老人は、感慨深げに少女に鉛筆を渡すと、突然、思い出したように、言いました。
「そうそう。あの、踊り子たちを呼んで来ておくれ！」
「いいえ。それは、だめよ」
「どうして？」
「だって、彼女たち、話されなかった言葉でしょう？」
「そうだよ」
「過去を変える事は許されない事よ」
「過去を変える？」
「そう。過去を変えたら、今の世界や、未来は、みんな、滅びてしまうわ。だから、時を越えて、過去へ旅する者には、過去を変える事は、許されていないのよ。知ってるでしょう？ あなた、ＳＦ好きだったから」
「ああ」
老人は、納得したようにつぶやき、そして、いつにまにか、少女の姿は消えてしまいました。
翌朝、捜索隊が、雪の中で倒れている老人を発見しました。
「何で、ひとりで、こんな所まで来たんだろう？ まあ、家にいてもひとりぼっちで、つまらなかったんだろうけど」
「ああ。でも、見つかって、一安心だ」
「葬式は、明日、街のセレモニーセンターでやればいい」
捜索隊員たちは、仕事を終えて、帰り支度を始めました。しかし、老人が、いつもポケットに入れて持ち歩いていた鉛筆がなくなっている事に気づいた人など、いるはずもありませんでした。
（おわり）
（1998年創作 1999年本サイトで公開）